紀行

産地紀行 「Make Silk」 〜養蚕農家を訪ねて〜

2024.9特集吉澤織物top 2


〜養蚕農家を訪ねて〜


絹は蚕が作る繭から紡ぎ出される動物繊維。

その歴史は古く、遺跡の出土品等で判明しているもので紀元前6000年頃には存在していたとされ、紀元前3600年頃の中国の遺跡からは絹織物(紗)の現物が出土しています。
絹は大きく分けて野生の蚕の「野蚕絹」と養蚕した蚕の「家蚕絹」の2種類がありますが、現代の絹織物の糸として使用される「家蚕絹」の養蚕原理はおよそ1500年前(6世紀)には確立されていた事が分かる文献が残されています。


かつては日本でも養蚕は盛んに行われており、私ども荒井呉服店の在所である東京都八王子市も1960年頃までは「桑都 - そうと」と呼ばれるほど養蚕が盛んでした。

*桑の葉は蚕の餌になる為、養蚕農家は蚕の飼育と同時に桑の栽培も行っていた。養蚕=桑畑という事が”桑都”の所以。

今回の特集「紀行」では、<Make Silk〜養蚕農家を訪ねて〜>と題しまして、結城紬の制作でご縁を頂いている産地メーカー「小倉商店」さんのご案内の下、栃木県の養蚕農家さんへ伺わせて頂いた記録をお届けします。


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養蚕農家の仕事は卵から孵化した蚕の幼虫を吐糸する熟蚕まで育て、繭を製糸工場へ出荷するまでとなります。同時に、蚕の餌となる桑も栽培する為、桑畑の管理も行っている養蚕農家さんがほとんどであると思います。

はとてもデリケートな昆虫。餌やりから湿度温度の管理など細心の注意を払い飼育しなければ繭を作る熟蚕に成長させる事が出来ません。養蚕の作業は全て蚕の発育のペースに応じて行われる為、スケジュールは「概ね」となります。

結城紬の制作を通じ、小倉商店さんと絹織物の糸作りまでその工程を遡って考えた際に養蚕農家さんの話となり、普段から絹織物を扱う者として、如何にして蚕を育てるか、飼育の大変さや工夫などを知る必要があると考え、今回の訪問へと繋がりました。

ただ見るだけでなく何かお手伝いできる事はないか、という事で、養蚕の工程の中でも人手が必要となる「*上蔟 - じょうぞく」のタイミングでお伺いする事になったわけですが、伺う前日に「予測よりも蚕が早く吐糸し始めた」という事で、結局手伝うべき作業は前日に終了してしまいました。


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上蔟前の状況(2023年撮影)。飼育スペースいっぱいに桑の葉を食べる蚕が。

上蔟の準備を終えた飼育スペース。壁には大きな空調ファンが取り付けられ風通しが良い構造になっている。

飼育スペースの壁に掛けられた黒板には蚕の飼育日記が記されていた。日時ごとの温度湿度、桑の葉の量などを記録している。

蚕が繭を作る蔟 - まぶし。昔は藁を蔟として使っていたそう。

蚕は4回脱皮します。

初回の脱皮をするまでの発育段階を1令(れい)という単位でカウントし、5令で糸を吐き繭を作る「熟蚕」の状態になります。



天井に掛けたれた蔟。格子状の枠に満遍なく蚕が繭を作っていきます。蚕が繭を作る段階を「営繭 - えいけん」と言います。

空いている枠に繭を誘導する為に考案されたのがこの「回転蔟」。

蚕は上にいく習性を持っている為、営繭され枠が埋まり重くなった方が回転し下になるような仕組みになっています。

「繭の中で排泄はどうしているのか?」と素朴な疑問を持っていましたが、蚕は営繭の初期段階(繭が閉じきる前)で排泄を済ませるとの事。

尿は一生に一度だけ。糞はこの排泄が最後になります。

伺ったのは上蔟直後でちょうど排泄が行われているタイミングでした。

回転蔟の下には排泄物を受けるビニールシートと新聞を敷き詰めていて排泄を終える頃合いを見計らってそれらを片付け、営繭スペースを清潔な状態に保つようにしています。


蚕は約3日間で1300m前後の糸を吐き出し営繭を終えます。



<営繭 / 動画:荒井呉服店YouTubeチャンネル>

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養蚕農家では大切な蚕がネズミに食べられてしまわぬよう、猫を飼う事が多いらしい。

営繭スペースは建物2階になる場合がほとんどだが、これは風通しを考慮してのもの。八王子でもこうした様式の建築を今でも目にすることができる。



養蚕所からほど近い場所にある桑畑。

余談ですが、桑の名前の由来は蚕が「食う葉」が訛ったものという説があります。


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今回、結局お手伝い出来ず全くお役に立てぬ訪問となってしまいましたが、直接お話を伺い養蚕の現場を見学させて頂く事で、養蚕の大変さや苦労そして何よりも農家さんの蚕に対する深い愛情を感じる事ができました。

私どもが大切にしている「品物に対する愛情」はこうした作り手さんの愛情の蓄積でもあります。


「素敵な品物に宿る作り手皆さんの愛情、そして想いも品物と共にお客様に届けられるお店でありたい」


そんな思いを新たにさせて頂けた訪問となりました。


今回の訪問を快諾頂きました養蚕農家の福田さんご夫妻、そして案内を頂きました結城紬産地メーカーの小倉商店さんにこの場をお借りして改めて感謝を申し上げます。



日本においては戦後の輸入絹の増加や化学繊維の驚異的な台頭によって養蚕業は全国的に衰退。

昭和22年(1947年)の統計では全国で82万戸あった養蚕農家も現在は146戸(令和5年 - 2023年の調査による)と減退の一途を辿っています。


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産地紀行 Make Silk 〜養蚕農家を訪ねて〜
荒井呉服店


Special Thanks for 福田芳男 / 福田佳世子 & 小倉商店


Photo&Text by Ryusuke Ishige


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